この空間で自分だけきつく当たられている感覚がいつも一番辛い
最近、学校の授業を受ける際に、
自分への言い方がきつすぎる教師がいる
遅刻もしない、宿題もちゃんとまじめにやってくる、授業もまじめに受けるのに、とにかく何かしら欠点を見つけて指摘してくる
他の人には、気を使って褒めることが多い
自分はとにかく気を使われずに、軽くあしらわれて、揚げ足を取るような態度をとられる
ある生徒:ねー、〇〇は今日何勉強したらいいー?
教師:今日はねー、これを勉強してみようかー
私〇〇と気が合うのよねー
でも〇〇やる気なくなると、来なくなっちゃうのよねー
心配だからちゃんと来てねー
自分はまじめにやってるのに、評価されない、それは今までずっとそう
その子は、まじめにやってないし、物をよく忘れてきたり、遅刻したり、課題もやってこない、やる気もないのに、好かれて、評価される
その矛盾が何よりも腹立つし、やるせなさを感じさせる
どこに行っても、だいたい同じ目に合う
ということは、自分に原因があるのか
私がその教師
を心の中で差別しているから向こうもそういう目で見てきて、結果そういう扱いになるのか。
だから、そういう目で見ないように必死に努力をした
もちろん媚びたり、ごますりは昔から得意でないというか、全くできない
仮にそれができないのが原因だったとしても、媚びたりゴマすりを全くしない人は自分だけではないので説明がつかない
しかもその人は普通に扱われている
いつも自分にだけきつく当たられる環境は、今回だけではない
何年か前の職場で、病的に仕事ができない人がいた
仕事の引き継ぎの時、その子が書いたメモが散乱していて、しかも何を言いたいのか分からない上に、余計に仕事を増やしてしまうことが多かった
周りも自分も、影でその子の悪口を言うようになったけど、上が恐ろしいほど優しかった
ただその上司は、私が少しでもミスをすると、問い詰めてくる
とにかく言い方がきつすぎる
それは自分だけが思っているのではなく、周りも感じて口にしていた
「あなたは、ちゃんと一生懸命真面目に仕事やってるのに、あの言い方はないよね、そらあんな言い方されたら腹たつよね、、、しかも、あの子には、何であんなに甘すぎるんだろうね」
それがずっと今までの人生で繰り返されている
このサイクルは死ぬまで続くなら、生きている意味があるのかと考えたりします
「あまり、人からどう思われているかを気にしない方がいいよ」
この言葉は、今まで、いろんな人に言われてきたアドバイス
最初は、気のせいじゃないのかなーとか言っていた人でも、次第に、「もう気にしないのが一番だよ、仕方ないよ」というアドバイスに変わる
心療内科に行くようになって、意見を求めたところ、
恐らく母親との拗れた関係がそのまま、別の人と繰り返されているのが原因ではないかと言われた
納得できるところはあるけど、自分でどうすることもできない
自分がますます人嫌いになり、ますます社会に恨みを持つようになる
どう足掻いてもこういう扱いから逃れる手立てはなく、受け入れるしかないのが現実だと考える度に、自分の中に怒りがますます蓄積されていく感覚があります
ニュースなどで、今まで大人しかった人、真面目だった人が急に事件を起こしたニュースを見るたびに、ひどく共感できるし、いつか衝動的に自分も何かを起こす日が来るんではないかと思ったりします