親はこうあるべきという教え
「親は子供の世話をしなければならない」
「親は子供のためにお金を稼がなければならない」
「親は子供のために別れるべきではない」
「親は子供を愛さなければならない」
親になる以上当たり前のことかもしれないが、この考えに囚われ過ぎていた事が自分の親を苦しめ続けていた一番の原因ではないかと
今まで自分の親がいかに”親”として機能していないか激しい憎しみを抱いていた。
自分がこんなに生きづらいのは、きちんとした愛情を受けなかったからだろう
ただ最近、両親は、自分の親である前に一人の人間であることを考えるようになった
世の中に様々な精神疾患、生きづらさを抱えている人がいる中で、
自分を愛せない人が、親になった途端に自分を差し置いて、自分の子供を愛せる能力が一緒に付いてくる訳ではないと
そう考えると、なぜ母親なのに罵られ、殴られたのか
父親なのになぜ行方不明になり、実の子供を捨てたのかという激しい憎しみが少し和らいだ
それでも親の愛情を感じられないが、痛みを少し理解するようになった
最近痛感するようになったことは、母親も父親も自身を愛する事ができないまま、誰かを愛さなければいけない立場になっていた事
本当は二人とも誰かのために家事をしたり、誰かのために働ける精神状態ではなかった
では何が親を動かしていたのか
なぜ当たり前のように仕事へ行ったり家事をする事ができていたのか
それは、親としてのプレッシャーにがんじがらめになっていたからではと
子供をきちんと育てなければいけない、子供がいるのに離婚すると世間が向けてくるであろう冷たい目線、世間体を守るための必死の頑張り
なぜそこまで強いプレッシャーを感じていたのか
それは、二人とも、愛情が不足していたためどちらも承認欲求が大きかったからだと
そうすれば今まで満たされなかった部分を認めてくれるだろう、世間に認められ、そして実の親も認めてくれるようになるだろうと
本当は仕事も家事もできる精神状態ではないのに、自分の感情を無視して、無理やり行うことは、ますます自分を苦しめる
一番残酷なのは、そこまでしても誰も認めてくれないということ
この激しい苦痛の悪循環を、今の自分なら痛いほどわかる
両親が自分の感情を認める事ができていたら
今の私には子供は育てられないと周りに助けを求めていいと思えていたら
周りもその声を受け止めていける環境であったなら
子供である自分もここまで心に傷を負わなかったのでは
承認欲求が強すぎると起こる悲劇
誰かに認めてもらいたいという思いが強ければ強いほど、その欲求を満たすために必死に頑張るようになる
その欲求のために、どんなに自分や他人を苦しめる事になろうと、一番欲しい承認欲求を何よりも優先する
紙切れ一枚に、お母さんと仲良くできなくてごめんね
とだけ残して、行方不明になった父親
なぜか音信不通になった父親の痛みの方が母親よりも理解できていた
もう何もかも限界だったんだろう
ただ母親の痛みも今やっとほんの少しだけ分かってきた気がする
承認欲求が強すぎて 自分が抱えているしんどさというものも気づけないんだと
自分の感情を無視しすぎて、自分が限界という事すら気づけない
必死に頑張った結果、家庭が崩壊した
私から言わせてみれば当たり前だと
ただ、母親は承認欲求を満たすために必死に頑張ったまでだと
それが、愛情から来る頑張りではなくても、子供からするとどんな矛盾した頑張りであろうと、その人なりに必死に頑張った結果なのだと
人間誰でも自分が欲しいものを欲するのは当たり前だと
自分を愛せないと他人を愛する事はできない
今までの強烈な親への憎しみは、
親である前に一人の人間であること、いかに親自身が愛情不足であったかという事を考え出すようになってから少しだけ和らいだ
If you can't love yourself, You can't love others
「自分を愛せないと、他人を愛することはできない」
有名な言葉だけど本当にそうだと感じる
友情、恋愛だけに限らず、夫婦間でも同じこと
それが例え自分の子供であっても
自分を愛する事ができれば自然と自分の子供も愛する事ができる
子供を愛さなければならないではなく、自然に愛したいと思う
子育ても、人生も、本当はそれだけシンプルな気がしてきた