自分の生きづらさの背後にあるのは、毒親
ただ毒親に生まれ持ってなった人はいないと思う
自分の親も生まれながら毒親になったわけではないと信じたい
自分の母が、毒親になった経緯を知っていきたい
そうすることで少しは冷静に母を見ることができるから
幼少期に満たされなかった承認欲求
まず自分にとって母は、自分のお母さんであるという感覚がない。
むしろ少女のままという印象を受ける
少女のまま時間だけが過ぎてしまった感じで、考え方や行動が幼く、異常なまでに自信がない
ただ何よりも母を不幸にさせているものは、母の母親への承認欲求であると思う
承認欲求というのは、非常に大切で、幼少期にうまく満たされていないと、生涯に渡ってその欲求に翻弄され、死ぬまでその欲求を追い求めことになる恐ろしいものであり、この承認欲求がいかに自分の母を翻弄させ続けているかについて最近考えることが多い
欲求が満たされなかったために、少女から女性の段階にいくことがなかった
母が結婚して子供を作ったのも、親に認めてもらいたいという欲求からだと言っても過言ではないと思う
50年以上たった今でも、何をするにも、母親からの承認が必要で、小さい子供が母親から離れることができないのと全く同じ状況に見える
例えば、実の兄弟に電話をかけるべきか否かも承認なしにできない、何時に母が帰宅するのか、とにかく何から何まで全て母親に電話をして報告をする
幼少期に満たされなかった承認欲求を実の母親に満たしてもらうため、50年たった今でも日々死に物狂いで頑張る
ただいくら頑張っても、幼少期に認めてくれなかった人がいつか自分が満たされるような認め方をしてくれる日は、何十年たってもこない
母はそこに気づくことができない、むしろ気づく日が来ることは一生ないだろう
もちろん実の母親に認めてもらえないというのは悲しすぎる現実
感情を押さえつけられた状態で大人になる
私が10才ぐらいの時
窓の隙間風のような音がするなと思い、音を辿っていくと、洗面所のシンクに母が顔を埋めて唸るように泣いていた
その時溢れ出ていた底なしの悲しみを感じて、子供ながらにぞっとしたのを覚えている
世間一般的なまともな人生を送らなければいけないという概念は、母の母親から散々擦り込まれてきた
ただ自分の感情を大切にせずに、この概念のもとだけに生き続けるとどうなるか
今でもそうだが、私が幼少期の頃、母はとにかくいつもイライラしていた
なぜいつもイライラしているのか、本人は理由が分からない
むしろイライラしていること自体気づかない
自分に自信がない母は、外でそのイライラを発散することは決してなかった
家の外というのは、世間体そのものであり、恐ろしい場所
そのとてつもない膨大なイライラ、不安、やるせなさを家の中で発散していた
それもほとんどを無意識に行なっていたんじゃないか
何十年も同じ思考回路でいると、なぜ自分がしんどいのか何かなんでなんなのか分からなくなるんだと思う
全てがごちゃごちゃで、自分の感情すら分かっていないから、それを子供や家族に当たり散らしていることももちろん気づかない
気づけば全て崩壊していた
本人にしてみれば死に物狂いで頑張っていた
ただ子供、つまり私にとっては母の頑張り全てが毒だった
私が母親に愛情を感じられなかったのは、ニュースで見るような、ネグレクトをされたからではない。
散々暴言を吐かれ、手を出されても、ご飯を作ってくれたり、一般的な家事はしてくれていた。
それでも、母との絆を感じられず、感謝できない自分に対して罪悪感に苛まれることが今でも多々ある
母に感謝しなければと思えば思うほど、私が求めていたものは、何一つ満たされなかったと心が叫んでいる