よく初対面で緊張するという感覚は、人間誰でもあると思う
ただ時間を一緒に過ごして行けば、だんだん慣れていって距離も近くなっていく
お互いに打ち解けていく
これが私の今までの人生にない
恋愛も同じで、最初の印象は良くても、お互い一緒に過ごしていくうちに、どんどん仲が深まっていくというプロセスがない
むしろ初めの印象の方がよかった
むしろ初対面の方が得意
お互い一緒に過ごせば過ごすほど、気まずくなっていく
自分でもこれが、何故なのか分からない
自分に何が足りていないのか、何故いつも気まずくなるのか、自分なりに分析して、きっと人を好きになれていないのだろうとか、人に依存しすぎてしまっているのだろうとか考えて、人をもっと好きになろうと努力した
ただその努力をすればするほど、心のどこかが不調を訴える
今でもそう。自分の心の叫びを無視して、必死に社会適応を図る
でも結局いつも同じ結果に終わる
何がそこまで自分は人と違うのか
あと何回人生で同じことに遭遇するのか
そうなる根底に自分の人嫌いが渦巻いているのか
ただ単なる対人緊張ではなく、自分にはもっと深い何か別の原因がある
極度の恥ずかしがり屋とか、コミュニケーションが苦手とか、そういったレベルではなくて、
自分にはもっと奥がある
人が嫌いだけど人が必要、これが自分の人生を悲しいものにさせている
人間関係を深めていくことは、人生の楽しみでもあると思う
家族、学校、アルバイト、大学、仕事
生まれてから死ぬまで、人間関係は存在するから
でもこの楽しみが自分には全くない
よくFacebookなどの投稿で、卒業式、仕事最終日などにみんなで集合写真を撮ったり、花束や手紙をもらったりして、楽しそうにしている姿をよく見る。
自分が欲しい光景はまさにこの画
今まで、学校の卒業式や、仕事の最終日などにいつも味わう感覚は、
やっと終わることの嬉しさ、苦しいのに頑張った変な達成感でしかなかった
例え集合写真の中に自分が入っていたとしても、その中にいる人たちと関係が深まった感覚がない
なぜみんな涙を流すまで感きわまる人もいるのか、なぜ自分は何も感じれないのか、ただ悲しくなる
最近、友人とご飯行った時に、「いつか自分の子供が欲しい?」て聞かれた。
「いつかは欲しいかな。でも自分みたいにだけは絶対になって欲しくない」
人生の楽しみが何もない人生をずっと送る苦しみを味わいながら生きるほど人生辛いことはないから